どうもGLAYファン・GLAY速報の*あっきぃ*(@_r_y_g_y_r_)です。
前編からの続きなので全編も読んでください
後にも先にも、1999年〜2000年にかけての解散騒動以来、解散の話は出ていない。
その時期は自分たちを見つめ直す時期でもあった気がする。
その後GLAYの活動は、ベクトルが変わっていったと思う。
好きなところから読む
大きく分けると5つの時期
世界へ目を向ける、反戦期
2001年、アメリカで起きた同時多発テロ以降、TAKUROは反戦を訴えている。
その後、GLAYは多くの社会活動・啓発活動に参加していく。
坂本龍一が発起人となったZERO LANDMINE(地雷ゼロキャンペーン)やホワイトバンド、レッドリボンなど。
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これ以降、楽曲にもその意志が表れることが増えた。
アルバム「ONE LOVE」、シングル「ひとひらの自由」を始め、
現在までにいくつかの楽曲で反戦などを歌ったものが発表されている。
独立期
2004年、3度目となるGLAY EXPOをUSJ特設会場で行って以降、GLAYはメディアの露出が減った。
独立への動きと、裁判のためだ。
2度の裁判
2001年、代表出版社バーニングパブリッシャーズと、GLAYの所属事務所アンリミテッドグループが裁判を起こしている。その裁判はこちら
内容は、著作権使用料の未払い。
GLAY(アンリミテッド)側に著作料の支払いがされておらず、訴えた。
GLAYが大きく飛躍したのはバーニングがあってこそであったことは間違いない。
とはいえ、未払いはよくないね…。
その後、2004年、GLAYとアンリミテッドグループが裁判を起こしている。
その裁判についてはこちら
こちらの裁判の内容は、印税未払い。
結果的に、GLAYが完全勝訴、7億円以上の未払い印税を受け取り幕を閉じた。
新事務所と再始動
裁判の後、結果的に干された形になり、メディア露出が減ったGLAY。
それでも活動は続けており、メンバー自身も解散を選ぶことはしなかった。
その中で、表に引っ張り出してくれたのがEXILEと氷室京介だった。
2005年あたりは、GLAY単独の活動はあまり行っておらず、 「GLAY x EXILE」「GLAY feat. KYOSUKE HIMURO」として音源リリース、そのほか「white band FES」などに出演。
そして、この時期GLAYを支えた大きな存在がプロデューサーだった佐久間正英。
さらに、GLAYの大変な時期にも
「こういう時こそ、雑音を捨てて、音楽に集中したほうがいい。新しい作品を作ろう!」
と、佐久間さんのプライベートスタジオで
曲作りを始めさせたそうです。((BEHIND THE MELODY~FM KAMEDA https://www.j-wave.co.jp/blog/fmkameda/2016/02/post_447.html))
そして、2006年、日本武道館公演を皮切りにGLAYが完全復活。
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独立劇を歌った曲「LAYLA」
まだ俺はやれるのさ かつてのように器用には
WOW うまく振る舞えないかもしれないけれど
諦めに舌を出し 消せないのなら戦おう
LIVE FOREVER 足の震えを隠し明日に挑むんだ(LAYLA歌詞)
その後は、これまでのプロモーションとは一転、よりファンに近い目線での活動に切り替わり、
コンスタントに大小規模のツアー、スタジアムクラスのライブ、リリースを行っています。
泥臭い活動と社会活動期
悪い意味ではなく、現在、ほかのメジャーアーティストとは大きく異なる活動方法だと思う。
企業タイアップという形でライブを行ったりすることは以前からあったが
それがよりリアルに見える。
また社会的な活動も増えた。
2011年の震災から現在まで、GLAYは東北・熊本などでの活動が多くなった。
特に、GLAYデビュー20周年は、東北六魂祭でライブ(東北在住の方を6000人招待)、東北ツアー、GLAY EXPO 2014の東北開催など、復興支援にはげみ、
GLAY EXPOの会場には東北のグルメ市が出されたりもしました。
また熊本地震の際はTERUが炊き出しに行くなど、
おそらく独立したからこそのフットワークの軽さ。
熊本県宇城市 宇城市役所でGLAYのTERU、大黒摩季、藤原紀香が炊き出し #熊本地震 5/24
こういった善意もネット上では炎上しかねないんですが、
たとえ偽善だとしても、行動することってすごいと思います。
今年の秋には東北・九州ツアーを開催。
GLAYファンは、GLAYが好き
当たり前のこと言ってると思うんですけど、
GLAYファンはGLAYの楽曲が好きというよりも、人間性を好きになってる人が多い。(もちろん曲も)
昔の尖ったイメージは今では皆無ですが、それが本来のGLAYだし、
様々な社会的活動を通して、ファンはいろんなメッセージを受け取ってます。
GLAYに触発されて、東北ボランティアにいったファンもいるし、
何であれ、そういう行動を起こすきっかけが作れるGLAYは素晴らしいと思います。
平成元年生まれ。
1997年 小学3年の時にHOWEVERで衝撃のGLAYERデビュー。
それからHISASHIに憧れギターを初める。もちろん使用機材はTalbo。
ライブ参戦よりもコレクター気質。
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